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「36年の軌跡を残して桜とともに…ベテラン学芸員の卒業」2014.4.1

こんにちは。ひと月のご無沙汰でしたが、みなさまお変わりありませんか?

こちらは、近所の代々木公園の桜のようすです。

3月23日の桜。

3月23日の桜。蕾は、めいっぱいふくらんでいます。もう少しで開花ですね。

東京に開花宣言が出された翌日3月26日の桜。
東京に開花宣言が出された翌日3月26日の桜。

東京に開花宣言が出された翌日3月26日の桜。花曇りのぼんやりとした天気でしたが、花は凛と咲いてとてもきれい…。これから次々に咲いて、しばらく毎日楽しませてくれますね。

今年は寒さが長引きましたが、東京・渋谷でもようやく春を感じる今日このごろです。

草木もなんとなくうれしそうです。

代々木公園に行く途中にある木には花が咲いていました。みとれていたらハチがやってきました。

代々木公園に行く途中にある木には花が咲いていました。みとれていたらハチがやってきました。虫に出会うのも久しぶり。春ですね。

さて、たば塩スタッフは…。学芸員をはじめ、相変わらず打ち合せの数々に参加しつつ、担当ごとに細かい部分を詰める毎日。「たばこ」や「塩」の常設展示室だけでなく、所蔵資料を保管する場所「収蔵庫」についても会議を重ねています。博物館の心臓部といってもいい部屋ですので、こちらもまた、みな真剣に取り組んでいます。

一方、海外調査に出かけた学芸員もいます。たばこの展示室にお目見えする予定のメキシコ・パレンケ遺跡の調査のようすは、前回のブログでご紹介しましたが、今回の海外調査は、塩の方です。国はポーランド。こちらはまた次回以降のブログでご紹介しようと思います。

そして、今回のトピックは、こちら!

この「たばこと塩の博物館」の誕生から(正確にはその前から)36年間ともに歩んできたI主席学芸員がこの春卒業します。当館に今ある、たばこと塩の博物館“らしさ”とか “ならでは”を生み、育ててきた学芸員の一人です。

みなさまにI主席学芸員のイメージを持っていただくとすると…「ミニチュア」「判じ絵」など、以前お客さまから好きな企画をアンケートさせていただいた際に上位にランクインした展覧会を手がけた学芸員です。講演会にお越しいただいた方にはお顔もお分かりのことと思います。そうです。ヒゲの学芸員です。

I主席学芸員のエピソードを語ろうとすると、何から始めたらいいのか分からないくらいたくさんあります…。仕事はもちろん、趣味の話まで、思い出は語り尽くせません。

そこで、遡ってひとつ私の思い出を書かせていただきます。

昨年夏、渋谷では最後となる展覧会「渋谷・公園通り たばこと塩の博物館物語 35年の感謝をこめて」を開催しました。しばらく休館することもあって多数の広告を出稿しました。どんな広告を出していこうか考えている中で、I主席学芸員とともに同展を企画した学芸員から、「当館を作ってきたベテラン学芸員の足跡をご紹介したら面白いのでは?」という案をもらいました。「ナイスアイディア!」と飛びつき、I主席学芸員と、開館以前からから共に歩んできたH学芸部長の二人にインタビューを行いました。

二人から出てくる話は、思った以上の内容の濃さ =35年にわたる歴史、関わった人物の多さ= などもあってまとめるのはなかなか大変でしたが、そんなことをいったらバチが当たるくらい、本当に面白いものでした。私にとっては、たばこと塩の博物館の隠れた、宝物みたいな話を聴くまたとない機会となりました。

インタビューは、1978年の開館のさらに半年前、準備室の時代に遡り、現在までを自由に語るスタイルで行いました。時間中、笑ってばかりでしたが、あたかも昔から今と変わらぬように存在しているような「たば塩」という博物館に、いかにして血が通い、肉が付いていったかをたどる内容となりました。2時間か3時間ほどの短い時間ではありましたが、私は小さな旅をしたようでした。

後日、インタビューを元に原稿を書くにあたって、ざっと五つの章を立てました。「たば塩との馴れ初め」「準備室のころ」「試行錯誤、手探り、暗中模索!?開館から3年間」「10年ひと区切り…学芸員として一人前?」「これからのたば塩」。

35年の歴史は、五つにわけてもどのパートも十分すぎるほどの内容量でした。改めて考えてみると不思議な気もするのですが、章立てはもちろん、たいしたビジョンも持たないままインタビューを実行したのに、原稿を書くにあたって録音を聴くと、記事に必要な章立てができました。さながら親鳥が向かうべき方向に導いてくれていたかのようです。思えば、いろいろなことについてそうでした。若輩者としては、先輩たちが築いてきた土台の上で、何かあって相談すれば解決へのヒントや、時に道筋を示してくれるという大きな安心があって活動できてきたのです。改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

さて、私は、「10年ひと区切り」より後のI主席学芸員、H学芸部長しか知りませんので、そこまでの二人の話はまさに若き学芸員たちの成長物語でした。資料の分類方法から講演会開催時の講師の選定・依頼、はたまた印刷物の編集・製作など、現在当館では「普通」に行っていることをまさにゼロから考え、決め、行動していったのです。

1978年11月、渋谷公園通りにオープンした「たばこと塩の博物館」。

1978年11月、渋谷公園通りにオープンした際の「たばこと塩の博物館」。この半年前からたば塩と二人の歴史が始まりました。

資料の収集についても印象深い話を聴きました。

今では800点ほどのコレクションになっている「たばこ盆」。開館当時には250点ほどだった資料です。35年の間でおよそ3倍になったわけですが、コレクションが充実していく歴史の中には、展示室にいらしていたお客さまと若かりしI主席学芸員との出会いが実を結んだというものもありました。

展示室に何度も足を運んでくださったお客さまとお話するようになり、話題がご所蔵のたばこ盆コレクションにのぼり、ついにはお宅に実物を見にいくことになったそうです。重ねていったおつきあいの中で、その方は当館への寄贈を決めてくださいました。モノだけではない、人と人とのつながりがコレクションの充実に結実したわけです。

また、現在では知名度も人気も高い「ミニチュア」とI主席学芸員の出会い、ミニチュアを当館にご寄贈いただくまでの所蔵者とのエピソードなど、人との出会いとつながりの話にあふれていて、本当に幸福なインタビューでした。

(ここでお話した新聞広告は、関連講演会での資料として、紙面で、読んだ方もいらっしゃるかと思います。いずれ機会があれば、元になったロングバージョンなどもお届けできればと思います。)

では、このI主席学芸員からひと言!

36年間もの永きに渡り、お世話になりました。
この博物館とはお別れしますが、今しばらくは博物館界にいて仕事をします。
またみなさまとどこかでお目にかかれれば幸いです。
どうもありがとうございました。

後進の学芸員に指導するI主席学芸員。

後進の学芸員に指導するI主席学芸員。知識や技術そして資料への思いがこうして継承されていくのですね。

資料を扱うI主席学芸員。展示替えなどのたび、この姿をみてきました。このまなざしを身近にみられなくなるのはさみしいことです…。

資料を扱う。I主席学芸員。

実は、当館での学芸員の退職は、I主席学芸員がはじめてのことです。

お話してきたとおり、たば塩の礎を築いたスタッフということもあり、残されたスタッフには不安もあります。来年にはたば塩が新館でリニューアルオープンというタイミングでもあります。不安な気持ちもありますが、今まで築き育てられてきたものを継承しつつ、より親しんでいただける博物館として成長していけるよう、スタッフ一同がんばっていく所存です。

さて、お別れもありましたが、4月からは新たに二人の学芸員が入ってきます。若い感性が、たば塩にどんな変化をもたらすことでしょうか?

それでは、またひと月後に!

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(Y・H)