特別展Exhibition

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「時代とあゆむ袋物商 たばこ入れからハンドバッグまで」

和装が主流だった時代、貴重品や懐紙、たばこなどを携帯する際には袋物が用いられ、江戸から昭和の初めごろまで紙入れやたばこ入れがその代表的な存在でした。これらは懐に収めたり腰から提げたりして用い、装身具としても重要なものでした。たばこ入れは構成部品が多く、各部品にさまざまな素材が用いられることから、凝った装飾のものが多く作られました。さらに明治9年(1876)に廃刀令が出されると、刀装具を製作していた腕のよい職人たちが袋物を含む日用品も手がけるようになり、たばこ入れは技術の粋を集めた美術工芸品として黄金期を迎えます。
明治維新後は、西洋を手本とした近代化のなかで、和装での暮らしに寄り添ってきた袋物にも機能や形の変化が求められ、西洋由来のハンドバッグなどに近づく流れも生まれました。この時流を感じ取った日本橋の袋物商・井戸文人(いどぶんじん/1874~1923)は、大正8年(1919)に袋物に関する初の通史『日本囊物史』を著しました。
本展は『日本囊物(ふくろもの)史』に沿って、袋物、職人や袋物商たちの歴史について4つの章で概観します。たばこ入れを中心としたさまざまなジャンルの袋物、金具などの部品、絵画資料や書籍など約300点の作品を通して、袋物の持つ用と美、時勢に呼応した変化、そして変わりゆく時代の需要に応え続けた職人や袋物商たちの仕事を紹介します。
※本展では、会期の前期と後期で一部作品を入れ替えます。会期の記載がない作品は通期で展示します。

  • 金唐革腰差したばこ入れ

  • ジャワ更紗ハンドバッグ

「時代とあゆむ袋物商 たばこ入れからハンドバッグまで」開催概要

会期 2024年4月27日(土)~6月30日(日)
(前期:4月27日(土)~5月26日(日)後期:5月28日(火)~6月30日(日))
主催 たばこと塩の博物館 会場 たばこと塩の博物館 2階特別展示室
開館時間 午前10時~午後5時
(入館締切は午後4時30分)
休館日 毎週月曜日(但し4月29日(月・祝)、5月6日(月・祝)は開館)、4月30日(火)、5月7日(火)
入館料 大人・大学生 100円
小・中・高校生 50円
満65歳以上の方 50円

※障がい者の方は障がい者手帳(ミライロID可)などのご提示で付き添いの方1名まで無料。
※やむをえず、開館時間の変更や臨時休館をさせていただく場合があります。最新の開館状況等は、公式X、お電話でご確認ください。

展示関連イベント

担当学芸員による展示解説
5月1日(水)、11日(土)、29日(水)、6月2日(日)午後2時~
所用時間:40分程度(内容は会期の前期と後期で若干異なります)
会場:1階ワークショップルーム
  • ※WEBによる予約制で、定員は先着40名。参加には、入館料(一般・大学生100円/満65歳以上・小中高校生50円)が必要です。

※お申込み方法などの詳細は、イベントページをご確認ください。

展示の構成と作品紹介

I 出かけるお供に袋物

日本における袋物の歴史を紐解く際に、火打袋が登場する『古事記』中の一節がよく挙げられます。東征にあたって倭健命(やまとたけるのみこと)が叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)から袋を授けられ、その中に入っていた火打石で難を逃れたというものです。やがて、火打袋は旅の持ち物として定着し、銭や数珠などを入れることもあったようです。ほかにも守袋や巾着などが出かける際の袋物として用いられていました。16世紀末にたばこが伝来し、喫煙習慣が定着していくと、喫煙に必要な道具も携帯されるようになります。当初は既存の袋物を転用していましたが、やがて専用の「たばこ入れ」が登場しました。たばこ入れは次第に装身具の性格を帯びるようになり、ついには幕府の奢侈禁令に触れるほど素材や細工に凝ったものが作られるようになりました。
本章では、たばこ入れを中心に、お出かけのお供として作られたさまざまなジャンルの袋物を紹介し、かつての日常にあった袋物の数々をご覧いただきます。

  • 無款 「旅風俗」
    [後期展示]
    寛永(1624-1644)ごろの旅風俗が描かれています。馬上の荷物にはきせる袋を結んだ長きせる、画面左奥の男性の腰あたりには提物がみえます。

  • 喜多川藤麿 「大原女花見図」
    [前期展示]
    中央の女性は右手に一つ提げたばこ入れ、左手には布製のきせる袋を結びつけたきせるを持っています。19世紀前半ごろの作品です。

  • いろいろな火打袋
    火打袋には、根付や火打金をつけた実用的なものや、江戸時代の考証本に載るような古い形を模したものなど、さまざまな形態があります。

  • 金唐革胴乱形たばこ入れ
    胴乱は提物の一種で、もとは弾薬入れとされます。たばこ入れとしても使われていました。

  • 鹿革早道
    早道は銭入れの一種です。上の円筒部に小粒の金銀を収め、下の袋部分に銭やたばこを入れ、提げて携行します。

  • 歌川国貞 市川団十郎 出村新兵衛 個人蔵
    七代目市川団十郎が前に提げているのが早道。主に19世紀前半の浮世絵に登場しますが、幕末の江戸では古風とされ、あまり見かけなかったという記述があります。

  • 松に藤刺繍女持ち懐中たばこ入れ
    懐中たばこ入れは、懐や袂に入れて携帯するもので、鞐(こはぜ)留めのものが多く残っています。

  • 茶織物・籐石畳編袂落し
    両端の袋にたばこ入れや手ぬぐい、小物などを入れ、紐は背中側に回し、それぞれの袋を左右の袂に振り分けて使用します。

  • 紺ビロード外入れ付き瑞鳥文懸守
    [後期展示]
    江戸後期の浮世絵によく描かれている形のお守袋。

  • 引出し付き一つ提げたばこ入れ 個人蔵
    引出しの中には象牙と竹でできた薬さじが入っています。

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II 見どころだらけのたばこ入れ

たばこ入れの袋、前金具、きせる筒、根付といった各部品に用いられた素材や装飾技術は、それらを組み合わせてできたたばこ入れとしてはもちろん、部品単体としても人々を魅了しました。金工や漆芸、革工芸のように分野として成立しているものから、呼び方の定まらない細工類まで、たばこ入れに関わる工芸分野は非常に幅広いものです。
さまざまな工芸分野が関わる袋物の製作過程には、豊富な知識に裏打ちされた袋物商たちの存在が不可欠でした。彼らは各素材を吟味し、取り合わせを工夫し、それぞれの分野の職人と良好な関係を築きながら差配することで、顧客が望むものを完成させるプロデューサーのような存在でもありました。
明治維新を経て身分による持ち物の制約が緩む中、明治9年(1876)に廃刀令が出されると、刀装具を製作していた職人たちが本来の仕事を失いました。職人たちは袋物を含めた生活用品に腕を振るうようになり、袋物は「見て楽しむ工芸品」としての黄金期を迎えます。
本章では、用と美を兼ね備えた美術工芸品としてのたばこ入れを紹介します。さまざまな素材、さまざまな分野の職人が関わる手仕事の数々など、細部にわたる魅力をご覧いただきます。

  • 黄ハルシャ革腰差したばこ入れ
    [後期展示]
    袋には鮮やかな黄ハルシャ革を使い、筒は六角形の革を敷き詰めた上に、秋草と虫の蒔絵が施されています。筒本体と蓋の接合部も六角形どうしの組み合わせになっています。

  • 銭菱手更紗腰差したばこ入れ
    [後期展示]
    日本で好まれる銭菱手柄の布を贅沢に使い、本体とかぶせの柄が合うように仕立てられています。緒締には最高級の紫水晶が使われ、筒には彫金の名手・栗田貞珉による象嵌が施されています。

  • 金唐革腰差したばこ入れ
    本資料には添書があり、大正2年(1913)ごろ彫金の競技会に前金具を出品し、金賞を受賞した旨が記されています。

  • 花模様裂腰差したばこ入れ
    [前期展示]
    筒には、連干しされた葉たばこが蒔絵や螺鈿で表現されています。舶来物の布を用いた袋には異国の人物を象った前金具が合わせられています。赤が目をひく緒締は佐渡の赤玉石です。

  • 竹編一つ提げたばこ入れ
    緒締も袋も竹で仕立てられています。栃木の竹工芸の名工・飯塚琅玕斎(1890-1958)の作です。

  • 籐網代編茶筅売図きせる筒
    染めた象牙と硬木を駆使して筅(ささら)売りを表現しています。きせる筒を多く手がけた昭玉の作品。

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【八代目桂文楽旧蔵コレクション】

近代を代表する落語家・八代目桂文楽(1892-1971)は、たばこ入れのコレクターでした。そのコレクションは一時期80点を数えたといい、素材や組み合わせの素晴らしいものばかりでした。文楽が活躍した時代には依然としてきせるで喫煙する人も多く、落語家たちが楽屋でたばこ入れを見せ合う文化も残っていました。文楽のコレクションは弟子の昇進祝いに贈ったり、戦争の混乱のために散逸したりもしましたが、当館ではたばこ入れ40点と、文楽が専用に誂えた簞笥を所蔵しています。八代目桂文楽に限らず、六代目尾上菊五郎、五代目清元延壽太夫など、芸能に携わる人たちには、たばこ入れのコレクターが多くみられます。

  • 白地鶏頭更紗腰差したばこ入れ(八代目桂文楽旧蔵コレクション)
    [前期展示]
    白地の鶏頭更紗に、竹の筒、珊瑚の緒締、流水模様のうちわの前金具という涼しげな取り合わせのたばこ入れです。

  • たばこ入れ専用のからくり簞笥(八代目桂文楽旧蔵コレクション)
    池之端・京屋での誂え品。きせるの段とたばこ入れの段に分かれており、容易に引き出しを開けられないようなからくりが仕掛けられています。

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III 時の流れと袋物

幕末の開国後、海外との貿易が本格化すると、袋物業界にも大きな変化がありました。新たな素材や鞄類が輸入される一方、根付をはじめとする従来の工芸品は観賞用として、たばこ入れはハンドバッグとして輸出されるようになります。また、紙巻たばこがもたらされたことによって、業界の主力商品であったたばこ入れにも紙巻用が加わりました。
都市部の男性には徐々に洋装が取り入れられていき、懐や袂に入れていた紙入れ類は紙幣入れ(薄型の財布)となり、それまであまり使われていなかった手提げや西洋由来の鞄などが普及していきます。しかし、女性の本格的な洋装化は昭和以降であり、男性も私的な空間では和装が多かったため、和装に合う袋物は必要とされ、袋物商たちは機能や形に小さな変化を加えながら需要に応じていきました。
本章では、幕末から平成まで営業を続けた神田の山本袋物店で扱われた袋物(山本コレクション)と、明治末期から戦後まで活躍した金工・鈴木春盛の図案帳などを通して、時代の変化のなかで店と作り手に求められた商品の変遷を紹介します。

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【山本コレクション】

ビジネスバッグの名店として知られた千代田区鍛冶町のヤマモト鞄店は、幕末に開店した袋物店をその前身としています。伊勢出身の初代直吉が文久2年(1862)に下宿屋を併設した「山本袋物店」を開店したことにはじまり、洋装の定着に合わせて昭和29年(1954)に「ヤマモト鞄店」と改称、その後平成24年(2012)まで5代にわたって営業を続けました。同店では主に三代目が取り扱った和装向けの提物からハンドバッグまでを保存しており、一部は袋物の歴史を示すものとして店頭で展示されていました。加えて仕掛品や袋の素材、根付、金具などの部材も保管されており、既製品ではなく、顧客好みの一点を組み上げる袋物商の生業を示す貴重な資料群となっています。このコレクションは平成28年(2016)に当館に寄贈されました。

  • 一つ提げ紙巻たばこ入れ(山本コレクション)
    「紙巻たばこ入れ」は明治10年代後半に登場しました。紙巻たばこの普及とともに袋物商の取扱商品にも加わりました。

  • 新川がま口 新川銭入れ ともに個人蔵
    「新川」は側面の口から小銭を出し入れする仕組みで、袋上部の掛具を帯などに掛けて携帯する早道の系統です。

  • 引掛金具(山本コレクション)
    短いかぶせ(袋のふた)の端につけることが多い引掛金具。きびがらに差して保管されたことがわかる貴重な資料です。

  • 袋物部材各種(山本コレクション)

  • 寄裂模様縫潰し腰提げがま口(山本コレクション)
    「腰提げがま口」は、腰差したばこ入れの袋をがま口財布に、筒をメガネケースに転化したものです。

  • 金唐革ハンドバッグ(山本コレクション)
    明治20年(1887)ごろには、女性用ハンドバッグとして手提袋が登場していましたが、使用するのは上流階級に限られていました。明治38年(1905)ごろには一般向けの商品が登場、大正8年(1919)には「ハンドバッグ」の呼称で売り出されます。この資料のように持ち手のないものもハンドバッグとして扱われました。

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【鈴木春盛(1897?※~1959)】

時の流れに合わせて袋物業界に求められる商品が変わっていくと、製作する職人たちも持てる技術を転用して需要に応えました。桂光春の高弟・鈴木春盛の図案帳と同時代の作品は、きせる喫煙からシガレットへ、和装から洋装へという大きな時代の変化に対応し続けた職人の姿を今に伝えます。
※享年より算出したため生年は未詳

  • 金具図案帳 個人蔵
    [前期展示]
    前金具にも帯留にもなりそうな図案が貼られた画帳には、姉様(紙人形)の図案があります。鈴木春盛作の帯留は、図案とは着物部分の折り返しが長いなど少し異なる点もありますが、着物の柄行などは共通しており、図案を製作の参考にしたようすが窺えます。

  • 鈴木春盛 帯留 紙人形
    [前期展示]

  • バックル図案帳 個人蔵
    帯留などの金具と異なり、伝統的なものだけでなく、洋風も取り入れた自由な画題が多い図案帳。

  • 鈴木春盛 バックル かぶと虫 日本宝飾クラフト学院蔵
    「バックル図案帳」に、似たデザインが貼り込まれています。

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IV 袋物商による袋物史

明治~大正期には多様な袋物が登場し、定着していくものもあれば廃れるものもある、袋物にとって変化の時代でした。日本橋の袋物商イセダヰの代表社員・井戸文人は、大正4年(1915)4月に開催された「美術囊物提物展覧会」の来訪者たちから袋物の通史を出版するよう請われ、その後も度々要望を受けて、『日本囊物史』の編纂(へんさん)に取りかかりました。大正7年(1918)には「美術囊物提物展覧会」の写真集『囊物逸品集』を、翌年には886頁に及ぶ袋物初の通史『日本囊物史』を出版しました。一介の袋物商に過ぎなかった文人ですが、『日本囊物史』の序には、金子堅太郎や森鷗外、正木直彦をはじめとする著名人たちが名を連ねており、当時の袋物が負っていた文化的価値を伝えてくれます。
本章では、文人が東京美術学校(現・ 東京藝術大学)に寄贈した『囊物逸品集』と『日本囊物史』を通して、記録者としての袋物商を紹介します。

  • 井戸文人編『囊物逸品集』 東京藝術大学附属図書館蔵
    「美術囊物提物展覧会」で撮影した写真123点をコロタイプで印刷し、大正7年(1918)に刊行しました。本資料は文人が東京美術学校に寄贈したものです。

  • 井戸文人著『日本囊物史』 東京藝術大学附属図書館蔵
    袋物初の通史として大正8年(1919)に刊行されました。

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【井戸文人(1874~1923)】

幼少時より絵を好んだ文人は、14歳のとき袋物商のイセダヰに奉公しました。16歳のとき店内で独立営業を始めると、廉価品が中心だったきせる筒に自身でデザインをし、蒔絵や彫刻の職人に装飾させて売り出し、遂には美術品へと引き上げました。その後、文人は江戸趣味の研究に走り、自作の漆絵を輸出したり、装飾革の輸出を試みたり、さらには主家の娘婿になるなど順風満帆に思えました。しかし、主家が経営危機に陥ったことから、明治36年(1903)、文人が経営を引き継ぎます。さらに翌年には日露戦争の勃発で袋物業界全体が不況となり、義父までが没するなど苦難の連続でした。それでも、持ち前のアイデアと行動力でなんとか経営を安定させ、40歳で経営から引退しました。その後、歴史資料が散逸し、江戸を知る古老たちが鬼籍に入る時期に差しかかったこともあって、 41歳のときに囊物史の編纂を始めたといいます。椎の木屋敷(現・墨田区横網1丁目)辺りに住んでいた文人は、大正12年(1923)の関東大震災で、目の前にあった被服廠跡に家族と避難し、帰らぬ人となりました。

  • 窓朧庵(井戸文人) 木彫極込人形 寧楽雛 個人蔵
    文人は漆絵や人形製作もしていました。本資料も文人作で、木材から人形を彫り出し、衣装を貼り、彩色までを一人で行えるほど諸芸に通じていたことがわかります。

  • 木彫極込人形の箱には文人の人形師としての名・窓朧庵の銘が入っています。また、三越のラベルが貼ってあるとおり、文人作の人形や印籠などは三越で販売されていました。

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【人気芸者のたばこ入れ −吉住はまコレクション−】

吉住はま(1879※-1963)は琵琶の名手として知られた赤坂の芸者で、明治39年(1906)に長唄の四代目吉住小三郎と結婚、のちに吉住小三濱を名乗りました。芸者時代から愛煙家だったはまは、自分好みのたばこ入れを誂えるのを趣味としていました。芸能に携わる人にはたばこ入れコレクターが多く知られていますが、いずれも男性が持つ提物が中心で、女性の懐中物のコレクションは稀です。同コレクションは令和4年(2022)に当館のコレクションに仲間入りしました。
※生年は享年85歳より算出
「時代とあゆむ袋物商」展会期中、3階コレクションギャラリーでは、吉住はまコレクションをご紹介しています。

  • 笹蔓文金襴女持ち懐中たばこ入れ

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