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「浮世絵でめぐる隅田川の名所」

江戸の人々にとって隅田川はとても馴染み深い川でした。周辺には浅草寺や木母寺をはじめとした由緒ある寺社が点在し、四季や自然の美しさを堪能できる名所もありました。向島一帯は船に乗れば江戸の中心から遠くなく、それでいてのどかな雰囲気も味わうことができ、格好の行楽地となっていました。
隅田川は浮世絵に数多く描かれています。江戸名所が描かれたシリーズには必ず隅田川周辺の絵があり、隅田川周辺のみをテーマとしたものもあります。役者絵や美人画の背景やコマ絵などに小さく描かれたものまであり、隅田川が“絵になる川”であったことがわかります。
本展では、周辺の寺社、花名所、料亭など、浮世絵に描かれた隅田川の名所を3つのコーナーで紹介します。前後期合わせて約150点の浮世絵を展示、当時の状況や描かれた背景なども紹介しながら、江戸の人々が楽しんだ隅田川の魅力をお伝えします。
なお、今年4月で当館が渋谷区から墨田区に移転して丸10年となりました。大蔵省煙草専売局の工場が隅田川沿いに建てられるなど、隅田川はたばこ産業にとっても重要な川であるため、移転した2015年以降、当館では浮世絵を含む隅田川に関わるさまざまな資史料を収集してきました。本展は、移転前から収蔵していた浮世絵と新収蔵品をあわせて紹介するものです。

  • 両国納涼図
    歌川国丸 文化(1804〜1818)頃 [前期展示]
    両国橋に人々が詰めかけ、隅田川にも大小の納涼船や物売りの船が出ているところが描かれている。夜空に上がる大きな花火の元をたどると「玉」と記された提灯が見え、花火師の玉屋のものとわかる。

  • 江戸八景 隅田川の落雁
    溪斎英泉 弘化(1844〜1848)頃 [後期展示]
    三囲稲荷の前の堤から上流に向かう隅田川、行き交う船が描かれている。遠くに見えるのは筑波山。当時の隅田川の鄙(ひな) びた美しさが捉えられている。


「浮世絵でめぐる隅田川の名所」開催概要

会期 2025年4月26日(土)~6月22日(日)
前期 4月26日(土)~5月25日(日)
後期 5月27日(火)~6月22日(日)
主催 たばこと塩の博物館 会場 たばこと塩の博物館 2階特別展示室
開館時間 午前10時~午後5時
(入館締切は午後4時30分)
休館日 月曜日(ただし、5月5日は開館)、5月7日(水)
所在地 東京都墨田区横川 1-16-3(とうきょうスカイツリー駅から徒歩10分)
入館料 大人・大学生 300円
小・中・高校生 100円
満65歳以上の方 100円

※障がいのある方は、障がい者手帳(ミライロID可)などのご提示で、ご本人様と付き添いの方1名まで無料。
※やむをえず、開館時間の変更や臨時休館をさせていただく場合があります。
最新の開館状況等は、公式X、お電話でご確認ください。

展示関連イベント

【講演会】
  • ※WEBによる事前予約制で、定員は先着60名。参加には、入館料(一般・大学生300円/満65歳以上・小中高校生100円)が必要です。
  • 入館料金の詳細はこちら
「本所七不思議を楽しむ」
5月17日(土)午後2時~
横山泰子(法政大学教授)
会場:3階視聴覚ホール
「納涼から生まれた隅田川の川開花火」
5月25日(日)午後2時~
福澤徹三(すみだ郷土文化資料館 資料館学芸員)
会場:3階視聴覚ホール
「三囲稲荷の経営と越後屋三井家」
6月7日(土)午後2時~
斉藤照徳(江東区芭蕉記念館学芸員)
会場:3階視聴覚ホール
【担当学芸員による見どころ解説】
  • ※WEBによる事前予約制で、定員は先着60名。参加には、入館料(一般・大学生300円/満65歳以上・小中高校生100円)が必要です。
  • 入館料金の詳細はこちら
前期 4月29日(火・祝)、後期 5月31日(土)
会場:3階視聴覚ホール
  • ※イベントは終了しました。ご参加ありがとうございました。

展示の構成と作品紹介

第一部 江戸の華 隅田川

江戸時代の隅田川は、桜や雪の頃の美しい光景、西を向けば富士山、北を見れば筑波山が目に入り、穏やかな流れには遊船や物を運ぶ船が行き交い、在原業平の故事で知られる都鳥が遊ぶなど、人々を惹きつける景色がたくさんありました。由緒ある名所はもちろん、新しい花名所も開かれていき、訪れるべき場所にあふれ、多くの浮世絵に描かれました。
隅田川は古来、武蔵国と下総国を分ける川でしたが、現在の隅田川の流れが、そのまま武蔵と下総の国境であったというわけではありません。江戸時代初期、江戸湾に流れ込んでいた利根川は瀬替えを経て銚子から海に注ぐようになり、複雑に分岐していた流れは整理され、下流東岸も埋め立てられました。浮世絵に描かれた隅田川は、瀬替え後の時代のものです。

  • 江戸鳥瞰図
    鍬形紹真 享和(1801〜1804)頃 [前期展示]
    東から西を見る方向で、富士山を正面に、江戸市中が描かれている。画面下を流れるのが隅田川で、その下の田園地帯が向島。

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【浅草寺】

推古36年(628)、隅田川で漁をしていた兄弟が仏像を引き上げ、土地の役人に見せると聖観音菩薩像であることがわかりました。役人は観音菩薩を深く信仰し、自宅を寺にしました。その後、観音堂が建立されて浅草寺となりました。このような浅草寺と隅田川のつながりは江戸の人々によく知られていて、浅草寺は訪れるべき名所となっていました。

  • 東都旧跡尽 浅草金龍山 観世音由来
    歌川広重 弘化元年・2年(1844・1845)頃 [通期展示]
    三人の漁師が隅田川から観音像を引き上げる場面が描かれている。

  • 江戸浅草金龍山 観世音境内之図
    溪斎英泉 天保(1830〜1844)頃 [後期展示]
    浅草寺の本堂が左に、五重塔が右に描かれている。画面向かって右端に一部見えるのは仁王門の屋根。

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【木母寺(もくぼじ)】

吉田少将惟房(これふさ)の遺児・梅若丸は、人買いにさらわれてしまい、隅田川のほとりで命を落としました。わずか12歳でした。憐れんだ高僧が亡骸を葬り、塚を築き、印として柳を植えました。一周忌の折、梅若丸を探す母が訪れ、そこに葬られているのが我が子と気付きました。嘆き悲しんだ母が高僧に頼み、梅若丸の菩提を弔う寺を建立してもらったのが木母寺です。梅若丸の伝説は謡曲「隅田川」の元となっています。

  • 浮絵隅田川梅若宮雪見之図
    歌川国虎 文政(1818〜1830)頃 [前期展示]
    画面向かって左側に描かれているのが、柳を植えた梅若塚。雪が積もる中、手を合わせる人の姿もみえる。

  • 隅田川雪の勝景 木母寺 岩井杜若
    歌川国貞(三代豊国) 文政(1818〜1830)半頃 [前期展示]
    雪の中、蛇の目傘を差す歌舞伎役者の全身像が描かれる。コマ絵には木母寺をはじめ、真崎、金龍山、隅田の渡など、隅田川両岸の景勝地を入れたシリーズ。

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【墨堤】

墨堤といえば桜が名高く、多くの浮世絵に取り上げられています。三囲(みめぐり)稲荷から木母寺まで続くこの桜並木は、八代将軍吉宗の命により、享保年間(1716〜1736)に誕生しました。墨堤は、江戸の中心から比較的近く、それでいて郊外の雰囲気を味わえることが喜ばれました。

  • 隅田堤桜盛
    溪斎英泉 弘化(1844〜1848)頃 [前期展示]
    隅田川の東岸から西方向を見た図で、遠くに富士山が見える。寺島村近辺(現在の墨田区墨田、東向島辺り)を描いていて、桜が植樹された堤と川の間には田畑が広がっている。

  • 隅田川の夜桜 一恵斎芳幾
    文久元年(1861) [後期展示]
    人気役者の夜桜見物の様子が描かれている。墨堤は夜桜でも人気があった。

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【両国】

明暦3年(1657)、明暦の大火と呼ばれる火災が起こり、多くの人々が隅田川を越えられず犠牲となりました。隅田川には、千住大橋のほかに橋は架けられていませんでしたが、防火・防災を目的に、新たな橋が架けられることとなりました。諸説ありますが、寛文(1661〜1673)初め頃、隅田川の西の吉川町と東の本所元町をつなぐ橋が架けられ、両国橋と名付けられました。橋の両側には火除け地が設けられ、仮掛けの見世物小屋や茶屋が立ち並ぶ盛り場となりました。

  • 東都両国遊船之図
    歌川広重 天保(1830〜1844)頃 [後期展示]
    広がる花火と、流れる花火が描かれている。橋の上の人々も、思わず足を止めて花火を見上げているよう。下流から上流を見ていて、遠くには吾妻橋がある。多くの納涼図に登場する「川一丸」も見える。

  • 東都名所之内 両国花火之図
    歌川広重 天保(1830〜1844)頃 [後期展示]
    歌川広重は、多くの両国花火図を描いた。この図では、手前に見世物小屋や茶屋が明るく大きく描かれ、橋や船の人々が小さく描かれている。橋の上の人々が花火を見上げる様子が感じられる。

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第二部 広がる名所

江戸の中心からも船で容易に訪れることができ、都市とは異なる田園風景も楽しむことができる隅田川一帯には数多くの名所がありました。浅草寺や木母寺のように、古くから賑っていた社寺はもちろん、創建は古いものの江戸時代になって参詣者が急増した社寺、新たに開かれた花名所や名物料理で名を上げた料理屋などもあり、絶えず人を集める観光スポットとして進化を遂げていました。

  • 江戸名所之内 むかふ島
    三代歌川豊国 弘化(1844〜1848)頃 [後期展示]
    上部の長方形の雷文枠に大きく風景画を描き、手前にその地域に関連のある風俗の女性を描いたシリーズ。この作品では、隅田川を挟み、三囲の鳥居が手前に、浅草寺が対岸に描かれている。

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【三囲(みめぐり)稲荷】

三囲稲荷は、一説によれば創建は平安時代まで遡るという由緒ある神社です。田に囲まれていて、隅田川から見ると、墨堤から鳥居の笠木の上の部分のみが覗くという特徴がありました。隅田川とともにたびたび浮世絵の画題となり、隅田川のランドマーク的存在でした。

  • 三めくりの夕立
    歌川国貞(三代豊国) 弘化元年・2年(1844・1845)頃 [前期展示]
    三囲稲荷参詣の人々が夕立に遭い、本社手前の屋根のある門に駆け込む様子が描かれている。

  • 三囲の夜雪
    歌川国貞(三代豊国) 文化〜文政(1804〜1830)頃 [後期展示]
    雪が降る中、料理屋帰りらしい役者や女性たちが、船に乗り込もうとしている。画面右上部に三囲稲荷の鳥居の笠木が見え、竹屋の渡の船着き場であることがわかる。

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【梅屋敷】

亀戸天神の近くには、清香庵という梅園がありました。梅屋敷と俗称され、名木臥龍梅(がりゅうばい)が名高く、梅の盛りの頃は多くの人々が詰めかけました。『新編武蔵風土記稿』には、水戸光圀が訪れた時、臥龍梅と名付けた、とあります。園内には300本ほどの梅の樹があったといい、特に臥龍梅は浮世絵にもよく描かれています。

  • 江戸名所尽 梅屋舗臥龍楳開花ノ図
    溪斎英泉 天保(1830〜1844)頃 [前期展示]
    「江戸名所尽」は、溪斎英泉による名所絵のシリーズ。浅草寺や増上寺など、遠景の社寺が主題。梅が満開の頃の梅屋敷が描かれている。

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【百花園】

寺島村の百花園は、文化(1804〜1818)初め、佐原鞠塢(きくう)によって開かれました。360本の梅を植えたのが始まりで、亀戸の梅屋敷にちなみ、新梅屋敷と呼ばれました。まもなく秋の七草の名所としても知られるようになり、さらに四季の花を楽しむことのできる場として、花屋敷、あるいは百花園とも呼ばれるようになりました。将軍や文人も訪れる場として親しまれ、多くの浮世絵に描かれました。

  • 『於中清七着替浴衣団七縞』 前編
    欣堂間人作 歌川国丸画 文政7年(1824)  [通期展示]
    百花園を舞台にした物語。入口にかかる「看来東西南北客」の聯、生い茂る秋の七草、朝顔が咲く庭、「鳥の名の都となりぬ梅やしき」の句碑、隅田川焼を広げる様子、園内の「秋のななくさ道 万葉集草木道」の標など、百花園内であることがわかる場面が続く。百花園を開いた佐原鞠塢をイメージしたと思しき人物も登場する。

  • 『東都歳事記』 巻之三 秋之部
    斎藤月岑編 長谷川雪旦他画 天保9年(1838)  [通期展示]
    『江戸名所図会』の編者の一人である斎藤月岑が江戸と周辺地域について記した本。月順に各所の年中行事や祭礼、縁日などをまとめ、花の見頃も紹介している。

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第三部 料理屋と仮宅

江戸には、数多くの料理屋があり、人々は食事を楽しむだけでなく、文化活動や交流の場としても利用していました。19世紀になると浮世絵にたびたび取り上げられるようになり、料理屋を主題としたシリーズや、美人画や役者絵にコマ絵で料理屋を添えたもの、料理屋を集めた双六など、さまざまな形のものが見られるようになりました。隅田川周辺の料理屋も多くの浮世絵に描かれていますが、特に隅田川沿いに位置していた料理屋は、吉原遊廓が火災などで焼失すると仮宅営業の場としても利用され、その様子も描かれています。

  • 江戸 高名会亭尽 三囲之景 出羽屋
    歌川広重 天保(1830〜1844)後期 [後期展示]
    三囲稲荷の鳥居の笠木が描かれている。この頃、花見シーズンには向島の堤でも弁当を販売するようになっており、出羽屋という弁当屋の幟が見える。

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【小倉庵】

小倉庵は隅田川に注ぐ源森川に面した料亭で、萩の露という汁粉が評判でしたが、会席料理や酒などを出し、湯浴みもさせていました。江戸の有名料亭のひとつでしたが、幕末には息子の長次郎が本所の幕臣青木弥太郎と強盗事件を起こして捕縛され、江戸の人々の話題になりました。この騒動はさまざまな随筆や回顧録などで取り上げられました。

  • 江戸 高名会亭尽 本所小梅 小倉庵
    歌川広重 天保(1830〜1844)後期 [前期展示]
    小倉庵の外観が描かれている。二階建ての母屋の他、離れも備えた大きな料理屋であったことがわかる。小倉庵の前には源森川(源兵衛堀)が流れ、船遊びや釣りを楽しむことができた。

  • 『小倉山青樹栄 昔日新話』泉竜亭是正作 歌川房種画
    明治11年(1878) [通期展示]
    青木弥太郎と小倉庵の息子らが起こした強盗事件は、明治11年(1878)に、『小倉山青樹栄 昔日新話(おぐらやまあおきのさかえ せきじつしんわ)』、同17年(1884)には『絶世拷問雲霧阿辰青樹廼夕栄(むるいのごうもんくもきりおたつあおきのゆうばえ)』という実録物になった。

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【仮宅】

江戸吉原の遊廓が火事で焼けたとき、再建までの間、吉原以外の場所での仮営業が許可され、料亭などで営業が行われました。安政2年(1855)10月の地震の後は、隅田川沿いの仮宅を描いた絵が数多く作られていきました。

  • 今戸橋金波楼 大黒屋仮宅向島三囲遠見之景図
    歌川富信(国富) 天保6年(1835)頃 [後期展示]
    吉原遊廓は、天保6年(1835)1月24日に焼失し、廓内の遊女屋は仮宅での営業となった。角町入口に店を構えていた大黒屋多賀は、隅田川沿いの有名料理屋を仮宅としたのか、金波楼での大黒屋の仮宅を描いた図が三図確認されている。

  • 宮戸川岸の賑ひ
    歌川国芳 安政2年(1855) [前期展示]
    隅田川沿いの仮宅が描かれている。対岸の向かって左側に三囲稲荷の鳥居が見えることから、この仮宅は花川戸や山之宿辺に位置することがわかる。

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コラム

このコーナーでは、名所だけではない隅田川にまつわるあれこれ、明治になってからの隅田川周辺についても紹介します。

  • 隅田花吾妻賑
    楊洲周延 明治21年(1888)  [前期展示]
    新しく架けられた吾妻橋、ガス燈、洋装の貴婦人たちが描かれている。

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【コラムⅠ 本所七不思議】

本所七不思議を取り上げたこのシリーズでは、「置行堀(おいてけぼり)」「片葉ノ芦(かたはのあし)」「無燈蕎麦(あかりなしのそば)」「送提燈(おくりちょうちん)」「足洗邸(あしあらいやしき)」「狸囃子(たぬきばやし)」「送撃柝(おくりひょうしぎ)」の7話が選ばれていますが、置いてけ堀と片葉の芦の2話以外は、選者によって不思議の内容が異なるようです。

  • 本所七不思議之内 置行堀
    三代歌川国輝 明治19年(1886) [前期展示]
    釣りをして家路につくと、堀から「置いてけ」と声がかかる。そのまま帰ろうとしても魚はいつの間にかいなくなり、堀に落ちる者もいた。

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【コラムII 水害】

江戸時代初期、江戸の東部を流れる川の流れはまだまだ複雑で、流れの細い部分も多く、隅田川の東側はひと度降雨が続くと水害を被る地域でした。『墨田区史』によれば、江戸時代にも規模が大きい水害が幾度もあり、明治になってもその状況は変わらなかったようです。特に明治43年(1910)の水害では、向島一帯が冠水し、百花園や梅屋敷をはじめ、名所として知られた場所も大きな被害を被りました。明治期には、水害の様子を描いた浮世絵を数点確認できます。

  • 隅田川燈籠流涼之真景
    四代歌川国政 明治11年(1878) [前期展示]
    隅田川に浮かぶ都鳥の燈籠と、それを川船から眺める人々が描かれている。隅田川の水の事故で命を落とした人々の供養のため、7月の間毎夜、都鳥の形の燈籠が流された。

  • 東京名勝吾妻橋鉄橋之真図
    小林幾英 明治21年(1888) [後期展示]
    2年前の洪水で流されてしまったため、明治20年(1887) 12月、新しい吾妻橋が完成した。鉄製で、ガス燈が灯る近代的な美しい橋であった。

  • 絵葉書 明治43年(1910)[通期展示]
    明治43年(1910)は、6月末から7月にかけて降雨が続き、8月には連日の豪雨で利根川や荒川の各所で堤防が決壊する大水害となった。この時の水害の様子をプリントした絵葉書も発行されている。

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【コラムⅢ 東京名所】

隅田川一帯は、明治になっても名所シリーズに取り上げられています。墨堤での花見、両国での花火など、一見、江戸時代と同じような季節の楽しみが描かれていますが、そこには新しい服装の人々や建造物が描かれるようになり、少しずつ変わっていく様相が見られます。

  • 東京開華名所図絵之内 隅田堤より真乳山を望
    三代歌川広重 明治15年(1882) [前期展示]
    対岸には待乳山と料理屋の有明楼があり、花見の人々がいるのは三囲稲荷前の堤。警官に叱られている人がいる。花見の場で怒る警官を描く作品は他にもあり、明治の東京の人々にとって、怒る警官の姿は印象的な光景だったのかもしれない。

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