特別展Exhibition

Web企画展 [第4回] 明治時代を彩ったたばこポスター

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鎮目 良文(学芸員)

20世紀、日本近代広告史の幕開けを飾ったのは、明治のたばこ業界を代表した二人のたばこ王と言われています。

一人は、「天狗たばこ」を旗印に「国益の親玉」「安売りの隊長」と自らを称し、店舗や馬車を真っ赤に塗るなど、奇抜な広告を得意とした岩谷松平です。もう一人は、アメリカ葉をブレンドした「ヒーロー」を発売し、広告においても西洋的手法を取り入れ、当時の人々のハイカラ志向をくすぐった村井吉兵衛です。

両者は、国産葉と輸入葉、赤と白といったように、互いに意識し、対抗しながら広告し、販売競争を繰り広げました。とくに、1901(明治34)年に、村井兄弟商会が本社を京都から東京に移転すると、その競争は激しさを増し、「たばこ宣伝合戦」と称されるほど有名になりました。この宣伝合戦は、新聞や宣伝隊、広告塔など当時考えられるありとあらゆるメディアを通じて行われ、明治の広告業界をリードしましたが、その中でも、明治期に日本にもたらされた石版印刷のポスターは、その美しさ、華やかさもあって、紙巻たばこという新しい時代の商品を宣伝するには格好のメディアでした。

今回は、そうした二人が世に出したポスターを中心に紹介し、あわせて明治のポスター作りの裏側にも迫りたいと思います。

銀座三丁目にあった岩谷商会本店(明治30年代)

銀座三丁目にあった岩谷商会本店(明治30年代)

京都東山にあった村井兄弟商会工場(明治30年代)

京都東山にあった村井兄弟商会工場(明治30年代)

* 技術に裏付けされたポスター製作 *

岩谷と村井のポスター製作を支えたのは、自社製品の販売増進のために先を争ったパッケージ印刷のための最先端技術でした。

まず村井は、1899(明治32)年、自社製品のパッケージ印刷のために、アメリカのステッカ印刷会社と提携し、京都に東洋印刷株式会社を設立しました。そこでは、外国人技師を雇い入れ、日本で初めてアルミ平版による印刷を始めるなど、最新鋭の技術を誇りました。

一方岩谷も、1900(明治33)年、当時紙幣印刷に使われていたエルヘート凸版法を民間印刷会社として導入しようとしていた凸版印刷合資会社(現、凸版印刷株式会社)の設立を支援し、村井に対抗しました。

吉野 1903(明治36)年 描画石版転写のアルミニウム印刷  制作:凸版印刷

吉野 1903(明治36)年
描画石版転写のアルミニウム印刷  制作:凸版印刷

ピーコック 1902(明治35)年 多色石版  制作:東洋印刷

ピーコック 1902(明治35)年
多色石版  制作:東洋印刷

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