たばこと塩あれこれVarious topics of tobacco and salt

世界の塩・日本の塩

世界の塩

日本の塩づくり

日本は、岩塩や塩湖などの塩資源に恵まれていません。また、四方を海に囲まれているのに、気候が高湿多雨なので、天日製塩にも適しません。このため、日本では、昔から、海水から「かん水(鹹水=濃い塩水)」を採る「採かん(採鹹)」と、かん水を煮つめて塩の結晶をつくる「せんごう(煎熬)」という、二つの工程から成る製塩法が行われてきました。そして、江戸時代以降、「入浜式塩田」と呼ばれる日本独特の製塩法が盛んに行われ、さらに、最近30〜40年の間に急激な変容、発展を遂げました。方法は変わっても、海水から塩をつくるということは、昔も今も、まったく変わりません。

採鹹(さいかん)
海水からかん水(濃い塩水)を採る

煎熬(せんごう)
かん水を煮つめて塩をつくる

【原始・古代】
  藻塩焼き(もしおやき)
  干した海藻を焼いて灰塩(はいじお)をつくる(この時代は塩ではなく灰塩が最終製品)。
  やがて灰塩に海水を注いで、かん水を採るようになる。
  6〜7世紀になると、干した海藻に海水をかけ、かん水を採るようになる。
    
  『塩地』(海藻から砂へ)
  海藻にかわって、塩分が付着した砂を利用してかん水を採る(8世紀)。
    
『製塩土器』
海藻を利用して採ったかん水を土器で煮つめた。
  
『塩釜』
塩地で得られる大量のかん水を煮つめるため、製塩土器に替わって発達した。
  
「土釜」(図説)
 貝殻を焼いた「貝灰(かいばい)」と、灰や土を塩水で練って築造した「土釜」が一般的だった。
一部では、中国から渡来した8世紀のものと考えられる「鉄釜」も見られたが、非常に貴重な資材であり、一般の製塩用ではなかった。
  
【中世】
  『塩浜』
 採かん地に手を加えるようになり、次第に塩浜の形態に発達した(9世紀)。地域ごとの条件の違いにより、入浜(いりはま)系と揚浜(あげはま)系に大別できる。
   
 入浜系の塩浜
  干満の水位差を利用して原料海水を自然に導入する方法。
  干満差が大きい地域の、干潟が発達したところ(内海や河口など)で発達。
  自然のままの干潟を利用した「自然浜」から、しだいに、堤防や海水溝、沼井(ぬい=かん水溶出装置)などが作られるようになり、徐々に入浜の形態が整っていった。
    
  揚浜系の塩浜
  人力で原料海水をくみ揚げる方法。
  干満差が小さいところ(日本海側)や、外海に面して波浪が荒いところ(太平洋側)で発達した。
    
  自然の砂面の揚浜
  揚浜の一般的な形態で、夏季に自然のままの海浜の砂面を利用した。
    
  人工の浜地盤の揚浜
  能登地方や大隅地方に見られた。多くは昭和30年代までに姿を消したが、能登地方では、文化財として、1軒だけ現在まで存続している。
   
『塩釜』
一般的な「土釜」のほか、地域ごとにさまざまな形の塩釜が発達した。
  
「石釜」(図説)
土釜から発達した形で釜底に石を敷きつめ、そのすき間を漆喰でうめた釜で、多くの地域で見られた。
  
「あじろ釜」(九州南部・西部)(図説)
 割り竹で編んだ芯材(網代)の表裏に漆喰を塗って作った釜で、竹鍋ともいう。
  
「鉄釜」
一部では国産の鉄釜が見られるようになった。 宮城県塩竈市の塩釜神社には4基の鉄釜が保存されており、そのうち、1基は12世紀、3基は15世紀のものと考えられている。
  
「鋳鉄製の鉄釜」(図説)
能登地方、伊勢地方などで見られた。能登地方では、文化財として現在まで存続している。
  
【近世〜近代】
  入浜式塩田(いりはましきえんでん)』
  江戸時代以降、瀬戸内海を中心に築造された。正保2年(1645)に赤穂新浜が開発され、以降、瀬戸内海沿岸の十カ国が日本の製塩の中心となり、「十州塩田」と呼ばれた。
  塩浜に不向きな気候の三陸地方では、採かん工程を持たず、海水を直接塩釜で煮つめる「海水直煮(かいすいちょくしゃ)」と呼ばれる製塩も行われていた(素水製塩)。
   
『大型の石釜』
十州塩田で、大量のかん水を煮つめるために使われた(幅2.7m、奥行3.6m、深さ0.12〜0.15m程度)。
  
「練鉄製の鉄釜」(三陸地方)(図説)
長方形の薄い練鉄を何枚も鉄鋲で継ぎ合わせた釜で、海水直煮用に使われた。
  
【近代〜現代】
  入浜式塩田
 少しずつ改良されながら、瀬戸内海を中心に、昭和34年(1959)まで存続した。
   
 流下式塩田(りゅうかしきえんでん)
 流下盤(りゅうかばん)と枝条架(しじょうか)を組み合せて、太陽熱と風力を有効に利用する採かん法。昭和27年から昭和34年(1952〜1959)にかけて、『入浜式塩田』が『流下式塩田』に転換していった。
   
 『イオン交換膜法』
 イオン交換膜を利用し、電気エネルギーによって、かん水を採る方法。昭和47年(1972)、『流下式塩田』から全面的に切り替えられた。
   
『洋式塩釜』(大型の鉄製平釜)
明治以降、石釜に替わって、瀬戸内海の十州塩田に普及した。
  
『蒸気利用式塩釜』
結晶釜で発生する蒸気をかん水の予熱に利用する方法。昭和10年(1935)頃から普及した。
昭和27年(1952)には大規模な「加圧式蒸発装置」が開発され、一部の地域では、採かん工程を持たない『加圧式海水直煮製塩』も行われた。
  
『真空式蒸発缶』
昭和2年(1927)に最初の工場が完成し、いくつかの『入浜式塩田』のかん水を1カ所に集めて煮つめる装置として導入されて以降、せんごう装置の主流として普及した。昭和46年(1971)に大規模装置が導入されて、現在に至る。