特別展Exhibition

過去の特別展・企画展

隅田川をめぐる文化と産業〜浮世絵と写真でみる江戸・東京〜

江戸の華 隅田川

江戸時代を通じて描かれた浮世絵には、隅田川の景色、花見や花火を楽しむ人々、隅田川を題材にした芝居を描いたものなどが多く存在し、隅田川がいかに人々に愛されていたのか、暮らしに根付いていたかをうかがい知ることができます。

作品紹介

歌川国丸画
「両国納涼図」
文化(1804-1818)頃

両国橋には多くの人々が詰めかけ、隅田川にも大小の納涼船が出ている。夜空には大きな花火が打ち上がっている。

溪斎英泉画
「江戸八景 隅田川の落雁」
天保(1830-1844)頃

画面右下に三囲(みめぐり)稲荷の鳥居、遠くには筑波山が見えることから、この作品では、隅田川は下流から上流に向かって描かれていることが分かる。人や荷を運ぶ川船が行き交う様子が描かれ、隅田川は人々の暮らしを支える川であったことがうかがえる。

歌川広重画
「江戸高名会亭尽 本所小梅 小倉庵」
天保(1830-1844)頃

「江戸高名会亭尽」は、江戸の料亭を描き、料亭にちなむ狂句を合わせたシリーズ。小倉庵の店の前には隅田川と横川をつなぐ源森川(源兵衛掘)が流れる。二階建ての母屋の他、離れも備えた料亭であったことがよく分かる。

行徳の塩 生産と流通

水運の要所だった隅田川には、各所からの物資を江戸城下に運ぶ船が行き交っていました。それらの物資の中には塩もありました。徳川幕府は行徳(現在の千葉県市川市周辺)にあった塩浜を保護し、塩を運ぶ水路として、江戸川と中川を結ぶ新川、中川と隅田川を結ぶ小名木川と、運河を整備していきました。

長谷川雪旦画
「江戸名所図会 行徳汐浜」
天保7年(1836)

右奥に塩浜や塩を作る釜屋と煙が見える。塩は軍事物資としても重要なため、徳川幕府は行徳一体の塩業を保護し、江戸城まで塩を運ぶ水路を整備した。

「千葉縣行徳古今製鹽之真圖(部分)」
19世紀末

行徳の製塩法は、塩まじりの砂を集めてザルに入れ、それを海水で溶出させて鹹水(かんすい/濃縮海水)を得る「笊取法」という製法で、江戸~昭和にかけて主流だった瀬戸内海沿岸の入浜式塩田とは異なっていた。