過去の特別展
グラフィック・デザインとの出会い
少年時代から絵を描くのが好きだった和田誠さんは、高校時代に国立近代美術館で開催された「世界のポスター展」(1953年)を見て強い衝撃を受け、「ポスターを描く人になりたい」と思うようになります。1955年、多摩美術大学に入学した和田さんは、在学中からデザイン賞に応募して入選するなど、早くからその才能を開花させました。
多摩美時代の先生は山名文夫
和田さんが多摩美術大学の学生だった時代には、日本のグラフィック・デザイナーの草分け的存在であり、資生堂宣伝部の顧問でもあった山名文夫が教授を務めていました。和田さんは「自分の電化製品を一つ選んで新聞広告を作る」など、その具代的な課題に興味を惹かれたといいます。
山名文夫の作品(1955年) 資生堂資料館所蔵
グラフィック・デザイナーになる
和田誠さんは1959年、当時まだ珍しかったデザイン専門の会社、ライトパブリシティに入社しました。会社には田中一光や細谷巖といった一流デザイナーの先輩がいて、大いに刺激を受けます。和田さんの作品としてよく知られる「ハイライト」のパッケージをデザインしたのもこの時代でした。