特別展Exhibition

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国産マッチのあゆみ ~その誕生と製造工程~

明治初期に誕生した日本のマッチは、その後大きく発展し、明治の後期には世界屈指の輸出量を誇るまでになりました。

国産マッチの誕生

明治初期、不平等条約のもとで欧米と貿易を始めた日本にとって、輸入過剰を防いで国内の製造業を育成することは重要な課題でした。そうしたなか、清水誠は日本人として初めてマッチの試作に成功。マッチを製造する新燧社(しんすいしゃ)を創立します。その後、マッチは日本の主力輸出産業にまで成長しました。

新燧社のマッチラベル

1881年の第2回内国勧業博覧会で有功一等賞・進歩一等賞を
受賞したことが記されている。

「国産マッチ発祥の地」記念碑

新燧社創業の地。現在の墨田区江東橋、都立両国高校敷地内にあたる。

マッチができるまで

大正期の東洋燐寸株式会社の写真帳には、大工場で一括製造される安全マッチの製造工程が掲載されています。日本のマッチの製造は中小業者による分業体制が一般的で、大工場で一括製造を行える業者は限られていました。

軸木剥ぎ・刻みの工程 「東洋燐寸株式会社」写真帳より

薄いシート状にした原木を一定の細さに刻んで軸木にする。

箱詰め 「東洋燐寸株式会社」写真帳より

マッチを一定量ずつ手作業で箱詰めしていく。