特別展Exhibition

Web企画展 [第8回] 江戸のものづくり 細刻みたばこの系譜

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半田 昌之(学芸部長)

16世紀の後半に伝来したたばこは、当初、かぶき者と呼ばれるならず者たちの徒党のシンボルとして使われたこともあり、幕府はさまざまな禁令を発してたばこを規制しました。しかし、幕府の思惑どおりにたばこが広まる波を止めることはできず、庶民文化が花開いた元禄時代には、たばこはしっかりと人々の暮らしに根付き、人々の出会いを演出する役目も果たす大切な嗜好品として定着しました。

江戸時代のたばこ文化の豊かさは、精緻に作られたきせるやたばこ盆、たばこ入れ等の喫煙具に見る、実用を超えた高い装飾性や芸術性からもうかがい知ることができます。一方、植物としてのたばこを育て、独特の味や香りを与え、加工する技術もたばこ文化を支える重要な要素です。

江戸時代に花開いたたばこ文化の特色は、髪の毛ほどの細さに刻んだ細刻みたばこをきせるで吸うことが基礎になっていますが、その原料の葉たばこ栽培や細刻みたばこの製造技術の発達は、江戸時代に培われたものづくりの智恵と技術に支えられて発展し成熟を遂げました。

近世初期風俗画に描かれたたばこ
近世初期風俗画に描かれたたばこ
かぶき者らしい風体の男性の傍らに置かれたきせると火縄。17世紀の前半には、当時描かれた風俗画に、外国から伝来した新しい風俗としてのたばこが登場する。喫煙具の描写には誇張があるが、当時のたばこを取り巻く状況が窺える貴重な資料。

*葉たばこづくり*

伝来以降、喫煙風習の広がりとともに、たばこの栽培も各地で始まり、幕府は、たばこの耕作に対しても厳しい規制を行いましたが、結局は、北海道を除く全国で栽培されるようになりました。一人の武士を十数人の農民が支えていた江戸時代では、収穫した米の半分以上を年貢として取り立てられ、農民は苦しい生活を強いられていました。自らの生活を支えるために、必需品である農具や塩などは現金で買わなくてはならず、貢租以外の作物の耕作の他、さまざまな兼業をせざるを得ませんでした。こうした諸稼ぎといわれる農家の兼業は、麦・桑(養蚕)・綿・茶・たばこ・蝋・漆・コウゾ・魚介類などの栽培・採集から、縄・藁製品・糸繰り・味噌・醤油などの製造と販売、年季奉公などさまざまでした。

そのなかで、農家の多くがたばこの栽培を選んだのは、たばこが、他に較べて効率良く現金を手にすることのできる作物だったからです。たばこは、その栽培に多くの労力と手間がかかる一方で、少ない耕作面積でも、家族の労働力を集約すれば、経費が少なく手元に残る現金が多い収入率の高い作物でした。養蚕とともに、たばこが江戸時代を代表する篤農・貧農作物と言われる由縁はここにあります。

そして、土壌への適合性が高く、痩せた土地でもよく育つたばこは、各地の多様な土壌や気候のなかで多くの品種が誕生し、栽培技術の発達とともに、阿波、国分、服部、南部など、銘葉として知られる葉たばこが誕生していきました。

民家検労図の「烟草(たばこ)」の項に描かれたたばこの植物

民家検労図の「烟草(たばこ)」の項に描かれたたばこの植物

江戸時代に出版された農書に取り上げられたたばこ
江戸時代に出版された農書に取り上げられたたばこ
江戸幕府が禁令を出していた時代にも、新たな換金作物として、たばこは、農作物の栽培テキストとして出版された農書にも取り上げられた。貞享元年(1684)に出版された『会津能書』(佐瀬与次右衛門末盛著)には、たばこについて、商品として益が高く売れる値段が高い、と記されている。写真は、元禄10年(1697)に宮崎安貞が記した『農業全書』の「烟草乃部」。本書は全11巻から成り、第6巻は、「三草之類」として、麻、藍、紅花(三草)の他、たばこなど11種類の栽培植物が収められている。
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