特別展Exhibition

Web企画展 [第8回] 江戸のものづくり 細刻みたばこの系譜

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*細刻みたばこの誕生と展開*

刻みたばこときせるによる喫煙は、東アジアの広い地域に見られる喫煙形態で、特に日本に特徴的なものではありませんが、日本的な刻みたばこの特色は、刻みの細さと長さにあります。ちなみに、現在製造されている「小粋」の刻みは約0.1ミリの幅で、一本の長さが76ミリですが、こんな精度で葉たばこを刻む技術の基礎は、江戸時代に確立されました。また、葉たばこを細く刻むためには、刻む葉たばこにも、そのための工夫が求められました。それが「葉のし」です。収穫して乾燥させた葉たばこは自然に縮み「絞り」という状態になります。この状態で刻んでも0.1ミリの幅に切り揃えることはできず、一枚一枚の葉たばこをのし広げ平らにしなければなりません。葉のしを行なうには、葉に適度な湿度を加える必要があり、葉を痛めずにのす作業にはコツが要り、何よりも手間と時間のかかる作業でしたが、細刻みには欠かせない独自の工程として定着していきました。

もっとも、伝来当初からの日本の刻みたばこは、このような細刻みではなく、葉たばこを単純に包丁で刻むだけの「荒刻み」でした。大きな寺社の門前などで、「一服一銭」と呼ばれるたばこの商いが始まり、刻んだたばこをきせるで吸わせたり、吸う人が自分で刻むための葉たばこを売る商売が始まりました。17世紀の後半になると、都市でのたばこの流行に応じて、産地から仕入れた葉たばこを刻んで客に売る店が誕生します。夫が葉を刻み妻がその下準備をする夫婦単位が中心のたばこ屋でした。葉たばこを刻む包丁も専用の包丁が考案され、特に、摂津・堺のたばこ包丁は有名で、全国のたばこの刻み職人に広く使われました。

こうしたなかで、刻みたばこはだんだんと細くなっていきました。なぜ江戸時代の日本で、他に類を見ない細刻みが誕生したのか、その理由はよく分っていません。しかし、強い刺激や激しい味を好まない日本人の味覚的な好みが、たばこにも反映して、細く刻んだ方が味が円やかになることから、だんだんと刻みが細くなり、さらに、日本人の小さな細かいものへのこだわりが、職人たちの技術を進化させたのではないかと思われます。

浅草寺境内図屏風に描かれた「たばこ屋」
浅草寺境内図屏風に描かれた「たばこ屋」
一服一銭の発展形としての小屋掛けのたばこ屋。店主が手刻みで刻みたばこを刻み、販売する商いが成り立っていたことを示している。
手刻み道具の一式とたばこ包丁
手刻み道具の一式とたばこ包丁
渋谷の博物館に展示されていた刻みたばこ屋の店先。しっかりした造りの店先で、主人が葉たばこを刻んでいる。今に残る手刻み用の道具と同様の道具立てで、17世紀末には、江戸時代独特の細刻みたばこの基礎となる技術が定着しつつあったことを示している。
渋谷の博物館に展示されていた刻みたばこ屋の店先。

かくして、江戸時代の後期には日本独特の細刻みたばこが産み出され、19世紀に入った文化年間のころ、「こすり」と呼ばれる極細の刻みたばこを作る技術が完成されたといわれます。しかし、乾燥させた植物の葉を包丁で刻む単純な技術でありながら、その完成までには200年近い年月が費やされています。そこには、原料の葉たばこの栽培から乾燥・熟成、葉のしから、包丁の製作など、関連する分野の技術が、それぞれに時間をかけながら少しずつ進化を遂げた、江戸時代のものづくりに見る智恵と工夫の積み重ねが見て取れます。

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