過去の特別展
陶磁器 〜欧米の嗜好に合わせた華やかな作品の数々〜
日本の有田焼(=伊万里焼)は、江戸時代、長崎を通してヨーロッパに輸出されていたが、幕末の慶応3(1867)年にはパリ万博に薩摩藩が出品した薩摩焼が高い評価を受け、以後、有田焼とともに輸出されるようになった。明治時代に入ると、陶磁器は茶や生糸と並ぶ外貨獲得の主力産業として、有田や九谷といった産地のほか、横浜や東京などの都市部でも大量に作られた。輸出向けのそれらは、西洋の広い室内空間に相応しい大形の花瓶やティーカップなどの洋食器で、意匠も彼らの嗜好に合わせた豪華絢爛なものが多かった。
薩摩焼武将図大花瓶
明治時代 胴径55.0×高さ125.0cm
花卉の連続文様と見事な筆づかいの武者絵を描いた大花瓶。頸部には立体的な飾りがつく。西洋の広い邸宅の装飾として、対で置かれていたのだろう。