特別展Exhibition

役者に首ったけ!

第1部 役者・オン・ステージ

役者の見せ場はやはり舞台姿であり、大量の芝居絵が上演に合わせて制作され、売り出された。ここでは、文化・文政期(1804~1830)の作品を多く取り上げる。この時期には歌川豊国率いる歌川派が華やかな芝居絵を量産しているが、芝居興行の面では、役者の給金の値上がりや、度重なる火災での損益を補うべく、観劇料が急騰した時期でもある。芝居見物が難しくなった庶民にとって、こうした絵は芝居を知るための大事なツールであった。

梅桜松双紙(うめさくらあいおいそうし)

梅桜松双紙(うめさくらあいおいそうし)
大判錦絵2枚続き 歌川豊国 文化13年(1816)

芝居絵を楽しむツボ イケメンを探せ!

現代のように多様なメディアがなかった当時、役者絵はいわゆるブロマイドとして人気を誇った。

芝居絵を楽しむツボ 「上演期間に売り抜くべし」ひしめき合う版元たち

役者絵は絵草紙屋にとって主力商品であったため、絵の制作を依頼し、売り出す版元は、人気絵師の確保に奔走した。このため同じ演目を題材に一人の絵師が複数の版元から絵を出すこともあったようだ。
上演にあわせて出される芝居絵の制作時間は非常に短いため、凝った構図や技法はあまり見られず、似たような印象の絵が多い。こうした中で、鶴屋金助版「双蝶々曲輪日記」は3枚続きながら1枚ずつでもブロマイドのように楽しめる点で、他の絵とは異なる印象を与えている。版元がどのように絵師に依頼したのか知りたくなる作品である。

双蝶々曲輪(ふたつちょうちょうくるわ)日記

双蝶々曲輪(ふたつちょうちょうくるわ)日記
大判錦絵2枚続き 歌川豊国 文化11年(1814)6月

芝居絵を楽しむツボ 絵師だってライバルです

役者同士が芸を競ったように、絵師も腕を競った。

細工物籃轎評判(さいくものかごのうわさ)

細工物籃轎評判(さいくものかごのうわさ)
大判錦絵2枚続き 歌川豊国
文政2年(1819)8月

細工物籃轎評判(さいくものかごのうわさ)

細工物籃轎評判(さいくものかごのうわさ)
大判錦絵4枚続き 歌川国安
文政2年(1819)8月

芝居絵を楽しむツボ 役者も人ですから……喧嘩もします

文政2年(1819)3月、七代目市川団十郎と三代目尾上菊五郎が、それぞれ異なる芝居小屋で助六を務めた。市川家代々の家の藝である助六を、断りなく菊五郎が演じたため二人は不仲となったが、3年後にようやく和解する。
「此狂言ハ来春相わかり申候」は、二人の関係修復後、共演する芝居の予告として出された絵。

此狂言ハ来春相わかり申候

此狂言ハ来春相わかり申候
大判錦絵3枚続き 歌川豊国 文政5年(1822)