役者の見せ場はやはり舞台姿であり、大量の芝居絵が上演に合わせて制作され、売り出された。ここでは、文化・文政期(1804~1830)の作品を多く取り上げる。この時期には歌川豊国率いる歌川派が華やかな芝居絵を量産しているが、芝居興行の面では、役者の給金の値上がりや、度重なる火災での損益を補うべく、観劇料が急騰した時期でもある。芝居見物が難しくなった庶民にとって、こうした絵は芝居を知るための大事なツールであった。
役者絵は絵草紙屋にとって主力商品であったため、絵の制作を依頼し、売り出す版元は、人気絵師の確保に奔走した。このため同じ演目を題材に一人の絵師が複数の版元から絵を出すこともあったようだ。
上演にあわせて出される芝居絵の制作時間は非常に短いため、凝った構図や技法はあまり見られず、似たような印象の絵が多い。こうした中で、鶴屋金助版「双蝶々曲輪日記」は3枚続きながら1枚ずつでもブロマイドのように楽しめる点で、他の絵とは異なる印象を与えている。版元がどのように絵師に依頼したのか知りたくなる作品である。
役者同士が芸を競ったように、絵師も腕を競った。