オランダ商館医として来日したドイツ人医師のシーボルト(Philip Franz von Siebold, 1796-1866)は、長崎や江戸参府の途上で多くの日本人と密接に交流し、西洋の博物学の視点から、日本の風俗・自然にまつわる大量の資料を収集した。所持品に国外持ち出しを禁じられていた日本地図などが見つかった、いわゆる「シーボルト事件」で日本を追放された後も、オランダで日本学研究に打ち込み、多くの著書を出版するなど、日蘭交流史上注目すべき業績を残している。また長崎の絵師・川原慶賀(1786頃〜1860〜?)は、シーボルトをはじめとする出島商館員の発注により、日本文化に関する様々な絵を描いた。その作品群は当時の日本の姿を詳細に記録した資料として、きわめて価値の高いものと評価されている。 |
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