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世界 塩さんぽ 〜5つの地域の、5つのおもしろい話〜
塩の作られ方や使われ方は国や地域によってさまざまです。ここでは、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、日本、アメリカに見られる、塩のおもしろい話をご紹介!
- 山の斜面にわき出す塩水から作る塩
- ペルーには、「マラスの塩田」という美しい塩田があります。この塩田に伝わるお話があります。あるとき、4人の男と4人の女が現れました。そのうち1人の男は、アヤル・カチという名前でした。カチとは、「塩」を意味します。アヤル・カチは力が強く他の兄弟から恐れられていました。ある日、アヤル・カチは兄弟にだまされ、洞窟の中に閉じ込められて、そのまま死んでしまいました。このときの涙がマラスの塩田の元になったそうです。
塩水は標高3000mをこえる山の斜面にわいているぞ。この塩水を水路に通し、階段状に作られた池に塩水をためる。その池のなかで蒸発させると塩ができる。
棚田みたいな
塩田なのだ。
- タバスコにも塩
- ピザなどに使うタバスコは、トウガラシ・塩・酢から作るからい調味料です。タバスコの会社・工場はアメリカ合衆国・ルイジアナ州のエイブリー・アイランドという島にあります。タバスコには、この島の地下深くにある岩塩が使われています。すりつぶしたトウガラシと塩を樽で熟成させ、酢を加えて完成です。
樽のふたをするときにも、塩を使うぞ。サラサラだった塩が樽の中から出た汁を吸って、すき間なく固まり、樽がしっかり密閉される。塩の、水分を吸い
やすい性質を
利用しているのだ。
- 戦争と塩不足
- 南北戦争(1861〜1865年)のころ、アメリカ合衆国の北部では塩を作っていましたが、南部では外国から輸入していました。戦争が始まると、北軍が南部の港を貿易できなくさせたため、南部は塩不足におちいりました。肉の保存用の塩も足らず、しかたなく肉まで捨てることになったそうです。
南北戦争の舞台のひとつ、サムターの要塞。南軍の旗がかかげられています。
南軍は、兵士の大切な食料だった塩づけ肉(右上の写真)も作れなくなった。
- ラマが運ぶ塩
- 昔、南米ボリビアのウユニでは、山の高地に住む人たちがウユニ塩湖でとった塩をラマの背中に乗せて、谷の村まで運ぶ姿がよく見られました。
運ぶのは力強いオス。運ぶ塩の量は、一頭につき約23kgと決まっていたぞ。ラマはラクダのなかまだ。
- 塩の平原を走るレース
- アメリカ合衆国のユタ州には、ボンネビル・ソルトフラットという、とても広い塩原があります。塩原とは、塩湖の水が干上がって、結晶した塩が一面に広がっている真っ平らな場所のことです。ボンネビルも大昔は深さ約90mの塩湖でした。今でも11月から5月の寒い季節には、うっすらと水が張りますが、暑くなると再び干上がります。平らな地形を活かして、自動車やオートバイのレースも行われています。
どこまでも真っ直ぐに走れるのが、ボンネビルの魅力だ!