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世界 塩さんぽ 〜5つの地域の、5つのおもしろい話〜
塩の作られ方や使われ方は国や地域によってさまざまです。ここでは、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、日本、アメリカに見られる、塩のおもしろい話をご紹介!
- 塩水の泉でさかえた町
- ドイツのリューネブルクは、地下からくみ出した塩水を煮つめて塩を作り、その塩を売ってさかえた町です。塩は川船で運び出されました。さらに陸路・海路でヨーロッパの北部に運ばれて、塩ダラづくりにも使われました。
塩水の泉を見つけるヒントになったのは、イノシシだという伝説がある。狩人がしとめたイノシシの足に塩がついていて、その足あとをたどると塩水の泉にたどりついたそうだ。イノシシは町の
シンボルになっているぞ。
- 「食卓に塩・コショウ」はぜいたくだった
- ヨーロッパの食事といえば、味つけは塩・コショウが基本です。ただ、食べる人が自由に使えるように食卓に塩を置くことは、昔はとてもぜいたくなことでした。アジアからもたらされるコショウは、さらにぜいたくなものでした。
15世紀、ヨーロッパの宮廷では、塩とコショウをセットにして豪華な器に入れるようになりました。左の写真の塩・コショウ入れは、16世紀にイタリアの金細工師が作ったものです。
今でもヨーロッパでは、「食卓の塩がこぼれると、悪いことが起きる」と言われている。塩が貴重だったころの考えが、言い伝えとして残っているのだ。
- ヨーロッパを支えた保存食、塩ダラ
- 冬の寒さが厳しいヨーロッパの北の方では、肉や魚を塩づけにして乾燥させた保存食が作られてきました。塩づけの作業はあぶらっこいものほど手間がかかります。脂肪が少ないタラは、塩づけに向いている魚として、ヨーロッパの食卓をにぎわしました。
タラは北の冷たい海に多くいる。塩ダラはおもにヨーロッパの北の方で作られ、各地に運ばれたのだ。
- 岩塩を運んだ3000年前の袋
- オーストリアのハルシュタットは、昔から岩塩がとれたことで、さかえた町。3000年近く前のものと考えられる、岩塩を運ぶ袋も発掘されました。
重い岩塩を運んでもこわれないように、牛の革でできている。また、口が広く、詰め込んだ中身をさっと取り出せるようなかたちをしている。当時とっていた岩塩は、袋からの出し入れが簡単にできるくらいで、それほど大きくはなかったのだろう。
- ロシアの結婚式
- パンと塩は、ロシアをはじめ東ヨーロッパの国で、歓迎の意味を表すシンボルになっています。
ロシアの結婚式では、おむこさんの母親がパンと塩をもって新しい夫婦を迎えて、おむこさんと花嫁さんはそのパンに塩をつけて食べる風習があるぞ。